人間が不要になる世の中
さて、こんなニュースを見た。
Foxconnというのは、日本でも最近話題になった、シャープ買収の張本人、鴻海(ホンハイ)工業のことだ。
そのFoxconnが6万人もの工場労働者をロボットに置き換えるという。
人間は高度な作業に割り振っていくというが、出稼ぎ労働者も多いようで、そういう人たちはおそらく有期雇用であるはずだし、リストラであるのは間違いない。
単純作業をロボットや人工知能に置き換えていく流れは今後加速していくのは間違いない。
「AのパーツにBのパーツを乗せる」とか、「ひよこのオスメスを見極めて仕分ける」とか、「写真に映っている人間を判断してタグづけする」とか。
人間の暮らしや仕事を楽にするために、様々なテクノロジーは進化してきた。
自動車が飛脚や馬車の仕事をなくしたし、冷蔵庫があればわざわざ氷を買ってくる必要もないし、パソコンがあればそろばんや電卓をたたき続ける必要もない。
色々な仕事がなくなり、その分いろいろな仕事ができてきた。
これからの未来、単純な作業はどんどん人間がすることはなくなっていくだろう。
(大企業のリストラ候補の閑職として残っていくかもしれないが)
ブルーカラーに限らず、ホワイトカラーでも単純作業をしている人には当てはまる。
ではその時、単純な作業しかできない人たちはどうなっていくのだろうか。
ファストフードのレジしかやったことのない人、書類整理しかしたことのない人、弁当にタンポポを乗せる作業のプロフェッショナル・・・
間違いなく仕事はなくなる。
そんな人たちの雇用はどうなるのか。
個人的な意見をぶっちゃけると、そんな人たちの仕事がなくなろうがどうでもいいのだが、景気が悪くなるのは困る。
そういう人たちが人間にしかできない「高度な作業」をできるようにならないといけない。
まあこういう人たちはそういう高度な作業をする能力もなければ、そういった能力を身に着ける意欲もないことが多いとは思うが、そういった能力を身に着けさせるための教育を施す必要がある。
ではその教育コストをだれが負担するのか、考えてみたい。
まず1つ目。
国が職業訓練校を作って学ばせる。
その費用はどこから捻出するか、という問題にぶち当たるだろう。どうしようね。
2つ目。
単純作業員をロボットに置き換えた企業が負担する。
長期的に見ればその人件費が浮くのだから、その分を教育に回せばいいのかもしれない。
短期的に見れば、労働者の教育も施しつつ、ロボットの導入費用も必要となり、負担が重くなる。これはメリットが少ないかもなぁ。
その分法人税とかを減免するとかっていう施策があればできるかもしれない。
3つ目。
本人が負担する。
まあこれが一番現実的というか、今のうちからやっといたほうがいいことだと思う。
最近だと無料で色んなスキルが学べるネットサービスも多いし、使わない手はない。
この場合、本人が負担するのは時間だけだ。
ただ、この場合学びの軸となる師匠とかメンターとか呼べる存在が必要不可欠と思う。一方的に知っている人であってもかまわない。
軸やゴールを定めずに小手先にスキルだけを身に着けても仕方ない。
「これこれこういうことができるようになるためにこのスキルを身に着けるんだ」
こういった目的意識が必要になるのは過去も未来も今も変わらないに違いない。
実は私がこのブログを書いているのもここに目的があったりする。
文章を書く能力については、まだまだ人間はロボットに負けないだろう。人に響く文章を書く能力はどんな時代でも求められるのだから。